働くアラフォーの育児日記

3歳の息子と0歳の娘の育児記録。現在育児休暇中。

8ヶ月の娘のこと

好きな場所はこたつの下。

 

こたつといっても、布団を外していてもちろん電気も入れていない。

こたつを部屋の隅にずらしても入っているので、どうやら意図的に入っていると思われる。

 

下でごろごろしてたり、ヒーターのところをガリガリしてたり、おもちゃをガンガンぶつけていたり。

家族でご飯食べてるときも下に潜り込んで、膝の所から顔を出したり、お兄ちゃんの足で遊んでいたり。

まるで巣みたい。

 

 

うれしいときは、両腕をぶんぶん振ってお腹をたたく。

ラッコが貝をお腹で割るときみたいな感じ。

ミルクを飲んでお腹一杯のときにこれをやると、「ポンポンポン」といい音が鳴っている(*´∇`*)

 

遊んでいたおもちゃをお兄ちゃんに取られると「わ~~~(≧д≦)」と泣いてお兄ちゃんを追いかけようとするが、別のおもちゃが目に入るともうご機嫌でそのおもちゃで遊んでいる(^^;

さすがまだ8ヶ月児。

 

甘えるとき、膝に頭をこすり付けてくる。

立っているときは足に頭をこすり付けてくる。

なんだか猫みたいだな(*´∇`*)

 

喃語にば行が出てきた。

「ばーばーばーばーばー」「あばばばば」「あぶー」と可愛い声でおしゃべりしている(*^^*)

 

心配なのは、まだお座りをしないこと。

ずりばいと寝返りを駆使して、部屋中を移動して遊んでいる。

 

 

 

 

2時間大泣き

昨日の夜、息子が2時間くらい大泣きしていた。

原因は、ジュースが飲みたいから。

今日は朝、昼とジュースを飲んでいるからもう駄目だよというと、大泣き。

どんなに説得してもなだめても泣き続けるので放置していたら、寝てしまった。

夫が寝室へ運んで、寝かした。

が、寝ながら「ジュース飲みたい!」とたまに泣いてる声が・・・。夢の中でも言ってるのか?( ̄▽ ̄;)

 

私はその間、お風呂へ。

お風呂から出ると、リビングにいてまた大泣きしている息子。

私の顔を見て、「ジュース飲みたいの!」

まだ言ってる。すごい執念だな(-。-;)

 

あまりにも泣き続けるので、ついに根負けしてしまった。

少しだけだよと約束して、ジュースを渡すと一気飲みしてまた「ジュース、もっと飲みたいの~!」

私「今少しだけでいいって言ったでしょ?(-_-メ)」

息子「もっと飲みたいの~!(大泣き)」

私(・・・はぁ( ´△`))

 

また少し注いで渡してしまう私。

飲み干して、まだ物足りなそうだったが、ジュースもうないよというと諦めたようだ。

 

こんなに長く泣き続けることはなかった。

よっぽど飲みたかったのか、変なスイッチが入って引くに引けなくなったのか・・・。

 

初めての映画

昨日3歳の息子が初めて映画に行った。

 

見に行ったのは、「ニンニンジャーvsトッキュウジャー」

頭の中の8割はニンニンジャーが占めていると思われる、わが息子。

きっと楽しんでみるだろう。

でも1時間もじっとしていられるのか?

 

夫と二人で見に行き、私と娘はその間ウィンドウショッピングなど。

 

待ち合わせ場所に戻ってきた息子の顔はニッコニコ(o^∇^o)ノ

楽しかった?と聞くと、「もっと見たかったよ~」

1時間、真剣に見ていたらしい( ・`ー・´) + キリッ

 

楽しんでくれたようで、良かった(^^)

息子のトイトレが進まない

全く進まない。

 

生理的なものだし、個人の成長によるものだということは知っている。

親が無理強いしても外れるものではない。

 

昨日も保育園から帰ったら、いつものようにおまるでおしっこするように促した。

そしていつものように、嫌がられた。だったらおむつ替えようかと言っても嫌がる。

 

いい加減、何か月トイトレしているか。一体いつになったら、トイレでおしっこしてくれるのか。私のやり方がまずいのだろうかと自分を責める。

 

保育園ではトレーニングパンツで過ごしていて、濡らすことはほとんどなくなっている。できるはずなのだ。

 

いつも焦りと苛立ちを抑えていたが、ついにブチ切れてしまった。

オムツ交換もしないなら、そのままでいなさいと叱り、オムツのまま放置した。

息子は床に突っ伏したまま。

・・・怒ってしまった。駄目親だ、私。

 

しばらくして、「オムツ脱いだよ~」と息子の声。

驚いて振り向くと、自分でオムツを脱いで私がやるようにきちんと丸めて持っていた。

それを見て、申し訳ないような気持ちになった。たくさん褒めて、オマルに座ろうねというと、素直に座った。

 

同じクラスの子たちはきっとパンツで過ごしているだろう。

おむつの子なんて、ほとんどいないだろうなと、どうしても気持ちが焦ってしまう。

 

トイトレは親が試されている。

 

 

節分の日

息子が保育園で作った鬼のお面を持ち帰ってきた。

家に帰ってからもずっとつけている。よっぽどお気に入りらしい。

豆まき用に、小さな袋にいくつか豆菓子が入っているお菓子を買ってあった。

夫が帰ってきてから、3人でそれをまいた。

 

保育園で教えてもらっているからか、豆まきをよく知っていて、作ったお面をかぶってとても張り切っていた。

 

娘は何事かをいう感じで見守っていた。

終わってから3人で袋菓子を食べた。

息子は手が止まらない。3袋で辞めさせた。

 

 

ベビーベッドがなくなった

下の娘が生まれる前に購入したベビーベッドと、折り畳みベッド(母親用)。

私と娘と一緒に寝て、夫と息子が一緒に寝ていた。

娘が3、4カ月くらいになってから、息子の夜泣きが始まった。

息子が夜中に「○○(息子の名前)のおかあちゃ~ん!」と泣きながら起きてしまうのだ。

その度に夫と私が交代して寝ていた。

 

そのうち、娘と私も夫と息子の部屋で寝ることになった・

狭いけど、シングルの布団に息子と一緒に寝る。息子の夜泣きがぱったりなくなった。

 

それ以来、使わなくなったベビーベッド。

売却することになり、分解してきれいにした。

 

そんなことを思い出し、少し寂しくなった。

辛かった不妊治療

結婚してから2,3年たった時、そろそろ子供が欲しいと夫に言った。

そのとき30、31歳くらい。

夫は子供はお金が必要だから、もう少しお金が貯まったらにしようと断られた。

それは正論かもしれないけど、子供が欲しいという気持ちをあっさりと拒否されて、気が狂わんばかりだった。なんどもそのことで喧嘩をした。すぐに妊娠するとも限らない。早くしないと出来なくなってしまうのではという焦りがあった。

貯金の目標金額を決めて、その額になったらという約束でなんとか話の決着がついた。

しかし目標金額になってから、いざ子供を作ろうとしても、さっぱり出来なかった。

なので、病院に行ってみた。そのとき32歳。

自然妊娠が難しいことがわかり、不妊治療を開始した。

義両親や親戚、自分の母親に子供はまだかとやはり言われていた。会社の上司にまで言われたことがある。

作りたくても出来ないのに・・・作ろうと頑張って病院に通っているのに・・・辛い言葉だった。

タイミング法2年、人工授精3回ほど、かすりもしなかった。

体外受精にステップアップした。病院通いをしながら会社務めはきつかった。採卵周期は1日おきに病院に行かなければいけないので、その度に半休取っていた。

薬を飲んで卵をたくさん作り、排卵直前に採卵する。

しかし卵の成長が不良だと、採卵中止となり、また最初からやり直し。生理を待って、また卵子をたくさん成長させるための薬を飲んで、排卵直前に採卵・・・。

私は1回目も2回目も採卵に挑むことができなかった。この悔しさといったらない。

 

会社に最初は不妊治療のことは言っていなくて、体調不良だと言っていた。でも部長に「不妊治療だろ?」と白状させられた。会社のみんなには知られたくないことだ。でも口の軽い部長なので、みんなにばれていただろうなあ・・・。

採卵3回目、ようやく卵子を採卵することができた。そのうち受精して胚盤胞まで行ったのもあった。

凍結胚盤胞の移植1回目、不成功。

凍結胚盤胞の移植2回目、着床したが流産した。

凍結胚盤胞の移植3回目、不成功。

4回目、着床したが出血が止まらず、切迫流産となった。2週間の絶対安静となった。

1週間の絶対安静生活をした後、ものすごい量の出血をした。500ccくらいは出たと思う。流産だと思った。

病院に行って診察してもらったら、驚くことにまだ胎芽が存在していた。

この後絶対安静生活を1週間してから、出血はほとんど止まった。

1ヶ月くらい病院で様子をみた。胎児は順調に成長していった。それから病院の卒業となり、産院へ移った。

自分の両親に、夫の両親に、夢にまで見た「子供ができた」報告をした。2012年の冬、36歳だった。

病院通いを始めたのが2008年。32歳。

約4年間。長かったな、頑張って通ったな。

 ・・・・・・

今では孫を溺愛している義両親。

産院で出産後、4泊5日の入院中は毎日見に来た。

退院後、私が仕事に復帰するまでの1年間、火曜日と金曜日の週2回、欠かさず孫に会いに家に通ってきた。車で40分ほどの距離だ。来れないときは曜日をずらした。

仕事に復帰してからは週1回。

孫に会うと、ひと時も傍を離れない。

本当に生き甲斐だ。ここまで孫を愛してくれるとは、本当にありがたい。しかし本音を言うと、少々息が詰まるときがある。でもその姿は、私の忍耐の不妊治療は間違っていなかったとつくづく思う。